エジプトの紅い砂漠はあと何人の犠牲の血を求め、望むのか?  数千万頭の羊ではまだまだ不足なのか?

 アフリカに発したと推測される人間集団、部族の抗争、殺し合いは今日も熄(や)むことなく、世界のどこかで新たに繰返されている。人間にはいろいろな定義があるだろうが、あるいは殺しあう種族、殺戮(さつりく)を仕事、天性の職業に選んだ生き物というのが真実に近いのかも知れぬ。これから数千年の時をヒト種が生き延びたとしても、脳に直接、『人間が人間を殺してはいけない』という指揮命令系統のチップを埋め込まない限り、突然、殺人衝動が消失する可能性、人間の倫理感、知性が悪魔の欲求を拒絶できるほど飛躍的に高まることなど、望むべくもない。
 おそらく人間なるものは戦争や殺人、災害、不幸、狂気、業病(やまい)、災厄(わざわい)、恐怖、悪意に対する飢餓感がなければ食(しょく)が進まないのだ。食べたものが不味(まず)いのだ。ヒトが食物を口に入れるということは自分以外の命を殺し料理して自分の体内に取り込むということに他ならない。その殺しの場面が残虐であればあるほど、危険であればあるほど、流れた血が大量であればあるほど、ディナーの食卓は完璧に装(よそお)われるのだ。最後の一人を殺し尽くすまで、人間の文化活動が永遠に已(や)むことはない。

 権力の源泉とは何か?
 組織共同体をまとめ、自由の乱雑を収束、統率、統括、統御する権力資本とは何か?
 権力の素材は個々の一個人であること、延(ひ)いては人間の生息環境、魚、肉、水、土、空気、太陽、海、森、鉱石、植物にあることに疑いはない。その一個人の前提存在を確約、確定するものは、共同体の所有、獲得した食糧、冨だ。共同体の冨を配分する力、機能を簒奪(さんだつ)、与えられ、保持する者の総体が権力であり、その実行を可能にするものが権力資本だ。
 権力資本は、人民の生存、表面の自由、創造の機会、虚偽の安定、幻想、地位、名誉、指導、金、作為情報、医療、保護、安全、強制、法、無法行為の容認、不法行為の承認、小口(こぐち)の分散権力、行動様式の矯正、労働命令を与える。同時に、金、冨、財産を徴収、没収し、必要な情報を独占蒐集(しゅうしゅう)し、労働力、価値、生産物、戦争への従事、忠誠、服従、従順を要求し、人間価値、希望、生命を揺るぎ無く収奪する。

 我らの未来は限りなく広がっているのか?
 既(すで)に閉じられているのか?

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